在宅と、救急と、

救命センターのICUで高度医療を行いながら、在宅往診で自宅看取りを行う専攻医の内省とつぶやき

どんな時も、救いたい命があって どうしても、救えない命がある ICUのベッドも、家の畳も 僕にとって、大切な空間のように思う。

Going home , Dying...

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Going home , Dying...「家に帰ろう、死ぬために。」
http://jamanetwork.com/…/jamainter…/article-abstract/2553284

 2016年のJAMA - less is more - で沖縄県立中部病院のレジデントの先生が投稿されていた記事に、大変感動したのを覚えている。そしてこういった記事が「JAMAに載る」という事に、自分がやっている(やりたい)プラクティスは、決して間違いではないんだな、と後押ししてもらえたようで、本当に嬉しかった。

 

 自分も、とあるおばあを「自宅で亡くなる」そのためだけに、家へ連れて帰った事がある。

 

 末期心不全・97歳のおばあだった。Vf➜院外心停止・心筋梗塞・重症の三尖弁閉鎖不全症などなど…もう10年前に亡くなっていてもおかしくないような病歴の方だったが、96歳になるまで自分の事は自分でされ、きっちり(少し杖の力を借りながら)自分の足で、外来通院されていた。

(こういった方を、だいたいの循環器医は「末期心不全の患者」と言い、僕たちFamily physisianは「元気なおばあ」と表現する。…のかも、しれない。)

 

 しかし今年に入り、みるみる衰弱が進行された。先週末より体調不良で入院されていたが、心不全はもうコントロール不可能な状態となっていた。いよいよ食事がとれなくなって、意識も朦朧としていく中で、彼女は、そして彼女の息子は、こう言った。

 

「家に帰りたい」 

 そして 「家に連れて帰ってあげたい」


 その希望を叶えるため、色んな人に協力してもらった。退院前カンファレンスが決まったくらいから下顎呼吸となり、もうそのまま看取りなのでは…と思ったが、ほんのすこしでも家に連れて帰ってあげたいと思い「このまま家に連れて帰ろう」とはんば無茶な僕の音頭に皆が協力してくれて、医師として僕が同乗し、病院にある救急車(高規格車)を利用し、ご自宅までの逆搬送を行った。

 

 用意されていたお部屋は、2年前に亡くなられた夫と亡くなられるその日まで共に過ごしていた、そして今はその夫の遺影がすぐ側にある、そんなあたたかな和室であった。

 

 もう亡くなっている、遺影の中のおじいは、笑わずにこちらを、じっと見ていた。

 

 

 下顎呼吸で意識朦朧とされていたが、家とはやっぱりすごいもんで、家についた途端、一度目をかっ、と見開き、きょろきょろっとされて、その後それまでの呼吸が嘘かのように、すやすやと眠られた。

 

 そして、自宅についた5時間後、そのまま眠るように、旅立っていかれた。

 

 息子さんは「家に帰るのを待って、亡くなったようだ」と仰っていた。

 

 自己満足かもしれないし、これが「医学」かと言われれば違うかもしれない。しかしそれでも「医療」とは、そういうもんなんじゃないかと思っている。
 また全員が全員、こういった特別を提供できるわけではない。出来る事と、出来ない事。運がいい人、悪い人。不公平と言われればそこまでかもしれない。


 それでも僕は、今日の出来事は、一生忘れないと思うし、今後もチャンスがあれば、同様の経験を少しでも多く経験していきたいな、と思う。

 

 もちろん、家に連れて帰る事だけが絶対正義という訳ではない。色々な最期がある中で、これが正解などという安直な答えはないし、ありきたりな表現だが、人(とそれを取り巻く周囲の環境)それぞれだ。
 僕はただ、そのそれぞれを一緒に探していきたいし、自分と知り合った多くの方の中で、一人でも多くの人が少しでもはっぴぃになれる、そんな医者になりたいと思った。

 

 「忙しい入院医療では、通常私達には多くの業務があり、治療選択肢のない患者は見過ごされていく。…しかし、本患者を救ったものは、進化した医療機器や薬剤、そういった類のものではないという事を、しかと覚えておくべきである。」

 

最初に示した、JAMAの結語だ。

 

 

…この出来事から、あれから、半年が経った今日。

息子さんと、病院でたまたまばったり、遭遇した。

 

「わたしも、心臓の病気で、これから精査なんですわ。」

「でも、父も母も家で看取れて、ほんまによかった。」

「わたしも最期は、ああがええですなあ。」

 

 

物語は、こうしてつながっていくのだな、と、感じた。