在宅と、救急と、

救命センターのICUで高度医療を行いながら、在宅往診で自宅看取りを行う専攻医の内省とつぶやき

どんな時も、救いたい命があって どうしても、救えない命がある ICUのベッドも、家の畳も 僕にとって、大切な空間のように思う。

タケちゃん日記

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タケコおばさんはもう、喋れなくなってしまったけど、
 家族だからなんとなく、何が言いたいのか分かる。
 おばさんが言ってそうな事を、日記に書いておきましょうね。
 先生も病室に来た時、良かったら読んでおいてよ。…きっと喜ぶはず。」
 
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 当時医師三年目だった自分は、ただ日々をやりくりするので精一杯だった。沖縄の離島・宮古島にきて最初の1週間で次々と患者が入院し、しかもそれが、それまで自分は経験した事のない症例の嵐で、しないといけないto do listに✕をつける事だけで日付をまたぐようになり、てんやわんやしていた。
 1週間で新規入院が20人を超えた時、もう自分は、タケコさんの電子カルテ上のデータを拾う事はできても「タケコさんを看る」余裕は残されていなかった。
 
 そんな時、ご家族からの提案で「タケちゃん日記」は始まった。
 
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 タケコさんは、昨日までぴんしゃん歩いて元気に笑う、ちょっと小太り、糖尿病は緩やかに放置気味…という、どこにでもいる(?)島のおばあだった小さな庭で作っている小さめの島バナナが「村一番の味だ」という事が自慢なのだと、後で知った。
 
 その日、心原性脳塞栓症を発症し、あっというまに寝たきり発語不能になってしまわれたタケコさんに残された意思疎通の手段は、小さな頷きと目配せのみとなった。
 
 ご家族は、そんなタケコさんの想いを、家族の心情を、この日記に綴られるようになる。
 
 
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 色々なカンファレンスや勉強会に出たり、超有名といわれる病院の総合内科研修の見学など、今週はとても精力的に院外に飛び出してみた。結果気付いた事は、やっぱり圧倒的に「臨床」の経験をもっともっと積まないといけないなーと言う事だったように思う。
 
結局、人を看た経験の少ない人の話はうわすべってるように聴こえるし、
知識だけが膨れ上がっても、しょーもない。
 
肺炎を、尿路感染症を、どれだけ診て
それを患った患者やその家族を、どれだけ看たか。
そして、どう視てきたか。
 
その経験のない医師の言葉は「ヤブ医者のそれ」に近い寒さを感じる。
 
 
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 「タケちゃん日記」に、自分もその日思ったこと、感じたことを書き出したのは、なにがきっかけだったかはもう覚えていない。が、始まりは、もうすぐ転院が決まる入院後半のことだった。
 
いつかこの日記は、患者家族と僕との交換日記となり、多くの物語を一緒に綴るようになった。
 
 そこで手に入れた情報は、決して医学的なそれとは関係がないものが多く、また時に、煩わしいと感じる情報も含まれていた。あるいは、煩わしいと処理することで、自らの感情を抑制しコントロールしていたのかもしれない。
 
 
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 しかし結局のところ、自分の臨床の基本は、こういった人生を感じる事がスタートであり、ゴールとは、そういった人生(のその全て、あるいはそのうちの一章)を完結させることに強い興味があるようだ、という事に気付いたのは、もう少し後の、つい最近になってからだった。
 
 
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医療人類学に、「仮定法化的要素」という言葉がある。
 患者や家族はいわば「結末の知らない読者」のようなもので、語り手(患者や家族)は聞き手(医療従事者)との対話のなかで、さまざまな視点をとり可能な筋書きを(次々と)語ってゆく。
 それは、ある結末ではなく「別の結末の可能性を開かれたものにしようとしておく」事に希望を見出しているという事であり、さまざまな語りは、その努力の表現の一部に過ぎない(らしい。)
 
 
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そして、色々な人生の物語が、その日記に残されていった。
 
島バナナの事も、この日記が教えてくれた。
 
その多くが
僕にとって特別な物語であり
タケコさんにとっての日常だった。
 
 
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総合診療医としてのプロフェッショナルとは
ヤブ医者の定義とは
 
色々な事を考えたけれど、
結局自分の臨床の原点のいくつかは沖縄のおじいおばあに教えてもらった事なんだろうなと思う。
 
 
「平静の心」の時もあれば「『平静の心』がゆれる時」の事もある。
そういった、自分自身の物語の中においても、
これからもしばらくは、『人生を看る専門医』になりたいと思う。