在宅と、救急と、

救命センターのICUで高度医療を行いながら、在宅往診で自宅看取りを行う専攻医の内省とつぶやき

どんな時も、救いたい命があって どうしても、救えない命がある ICUのベッドも、家の畳も 僕にとって、大切な空間のように思う。

ちよばあの話

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ブータンの寺院で修行する少年たち@2011年

2年前、まだ専攻医の時に書いたものが、下書きのまま、固まって残っていた。

2年たって、専攻医が終わった今、僕はまた急性期病院で働いている。

 

それでも揺るぎない

後期研修を「診療所」で研鑽する、価値について

 

つたない言葉だけど、推敲させず、このまま載せときたい気分だったので、雑な文章のまま公開します。

 

「ちよばあ」との思い出。

 

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初めて僕がちよばあと会ったのは、診療所勤務が始まった医師4年目の、4月4日の事だった。89歳でANCA関連腎炎を発症され、免疫抑制剤(プレドニン10mg/日+プレディニン50mg/日)の内服をされていた。

ふくよかな身体と、優しい笑顔が印象的な方であった。

 

「どんなに辛くても、笑顔を絶やさないおばあだ」と聞いた。

 

そんなちよばあに、診療所の外来で初めてあった時の主訴は、3日前からの風邪。

ものすごいwheezeとholo insp. cracklesが聞こえていて、SpO2は85%。

 

会って5分で、救急搬送した

 

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肺炎・心不全増悪の加療をおえ、無事自宅に戻られたちよばあは、改めて診療所に勤務していた僕の外来でフォローする事になる。

 

ちよばあとの外来は、本当に楽しかった。

色々な話を聞かせて頂いた。

夫の妹が生来の知的障害があること、その方の介護をANCA関連腎炎を発症するまで行っていた事、夫がヘビースモーカーで大変な事、でも、大好きな事。

 

その全てが、ちよばあの柔和な笑顔に包まれて、

いつも外来は、少し押し気味だった。

(当時の僕は、診療所研修が始まったばかりで、まだ外来診療のスキル が足りないからだ、タイムマネジメントの改善をしなければ・・なんて考えたりもしていたようだけど、きっとそれは、スキルの問題ではない、と今にして思う。)

 

その後も何度か、気管支炎や心不全増悪での入退院を繰り返されるちよばあ。

その都度彼女は

「…病院には、行きとうないけどなあ。

 ・・・でも、先生にお任せします。」

と言っていた。

そしてその都度、僕は

「また元気になって、家に帰ってこれますから」と言い、送り出していた。

 

 

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 そうしてちよばあは、緩やかに認知機能とADLが低下されていった。

車椅子でしか外来に来られなくなり、訪問診療に切り替えた方がいいかという話がカンファレンスであがるようになった。内服も自己管理が難しくなり、息子さんに管理してもらうようになっていった。(少しずつ、自分でできていたことが、医療の手で、離れていった。)

 

しかしそれでも、彼女の笑顔は変わらず柔和で、僕たちの外来を、優しく包み込んでくれていた。

そして、外来はやっぱりいつも、押していた。

 

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 ちよばあとの外来の物語が、1年経とうとしたころ、

「喉が乾いた」と、ポータブルトイレの消臭液を一気飲みしてしまい(なんてこった)

救急搬送され、緊急入院された。

 

今日(=ブログを下書きした日、つまり2年前)、少し時間が出来たので、診療所をぬけ病院に訪問し、お見舞に伺った。

病室に行くと、病棟看護師さんにミトンの付け直しをされている最中だった。

両手ともにしっかりとミトンをされていくちよばあは、少ししょんぼりしていたけれど、僕をみつけるとすぐ

「ああ、先生、来てくれたんや〜!」と、気づいてくれた。

 

「やあ」と声をかけようとしたら、看護師さんは

「こんなお医者さんは、この病院にはいませんよ(笑)。・・お孫さん?」とおっしゃった。

 

ちよばあはすかさず「ちゃうよ、私の先生よ!」と言いはなつ。

看護師さんもすかさず「お孫さん?あ、ひ孫さん??」とやり返す・・。

 

言い出そうか迷ったけれど、すっかり認知症のレッテルを貼られてしまっている(まあ、認知症なんだけど)ちよばあの名誉をはらすため

「あ、彼女の診療所の主治医です…」とお伝えすると、

彼女はすかさず「ね?私の先生よ!」と勝ち誇った顔で、ニコニコしてくれた。

 

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診療所で医師をするようになって、「医者と患者」という関係の枠が、少しずつ変化しているような気がした。それは理論的になにが「いい」とかは言えないけれど、とても心地の良い変化のように感じていた。

(恐らくそれは、先日書いた「関係性の固定化、からの開放」が診療所では起きやすい状況にあり、あるいは、開放するための臨床的手法を家庭医療学という専門性が教えてくれたからだろう、ということに気付いたのは、もう少し後のことになる。)

 

CVが挿入され、ミトンをつけられている姿も、ちよばあと看護師のやりとりも、その後、診察する訳でもなくただなんとなくお話する時間も、何を話すこともなく病棟の窓の外に広がる景色を眺め続けることも。

その全てに、ちよばあの柔和な笑顔がくれた温かな関係性が内在された時間が刻まれていた

 

そしてそれは、急性期病院内で研修医をしていた時には、どれも見えていなかった角度からの風景だった。

 

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医師4年目で「診療所」にとびだし見えた世界は、とても広大で、優しく、「医師を目指した原点」を再発見するきっかけがたくさんあった

 

若年のうちから診療所で研修するというキャリアプランは、現状はまだまだマイノリティで、理解のない(何も知らない)諸先輩や同期から、「やめといた方がいい」と理由なき批判をうけることもあるだろう。


私自身、「医師4年目から診療所勤務をする家庭医療学のプログラムにいきます」というと「そんな早い学年から診療所になんか行ってどうするの?」と言われた。(「アホちゃう?」と罵られた事すらある。)

 

まあ、私自身、たしかに不安だった。

しかしその不安は

「急性期病院でがつがつ経験をつむ同期たちから置いていかれるんじゃないか」や

「もう病院は怖くなって戻ってこられなくなるんじゃないか」といった、

どれも根拠のない漠然とした不安だった。

(今、医師8年目になって、全然おいていかれていないし、急性期病院にもどってきて仕事ができている。しかも、大きな幅をもって。)

 

当時は「診療所なんて、もっと病院で色々経験してからでしょ。」と言われた言葉に、返す言葉を持ち合わせていなかった。ただ、医師4年目で1年間診療所での勤務を修了し感じた事は

「そんな早い学年から、病院という『狭く特殊な世界』に引きこもっちゃって、どうするの?」

ということだった。


もっと広い世界やドラマが、地域にはある。全人的な理解、って言葉にすると胡散臭くて()嫌いだけど、でもそれが医療なんだなあとしみじみ感じた。(そして、家庭医療学には、それを「あったかい話」だけで片付けない理論と実践がたくさん詰まっていた。)

 

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 消臭液の誤飲から退院されてから、ちよばあの診療はいよいよ訪問診療に切り替わった。退院初回は、軽いせん妄状態にはいっていて、私のことすら判別が難しいような状況になっておられた。

 

#認知機能のさらなる低下 s/o:せん妄

というプロブレムリストを、カルテに新たに追記した

 

その後、ちよばあの寝室にいくと、彼女と全く同じところに笑いじわが出来るおじいが、スパスパとタバコを吸っていた。部屋中に灰皿が設置され、いたるところに吸い殻が捨てられていた。

 

#夫がヘビースモーカー

とプロブレムリストを書きたそうとしたけれど、

その前にふと、気になったので、夫に

「それ、なんて銘柄のタバコですか?」と聞いてみた、

 

すると、夫が答えを言うよりもずいぶん早いスピードで

すかさずちよばあが

「セッター(※セブンスター)よっ」と答えてくれた。

 

夫はただ、笑うだけだった。

 

 

セブンスターの煙につつまれて、HOTの機械がしゅこしゅこと音をたてている。

そのいびつさが、なぜかとても美しく、

そのままにしておきたい、とすら思いながら、一呼吸おいて

 

#夫がヘビースモーカー→禁煙指導

とカルテに書き足した。

 

二人の目尻に浮かぶ笑いじわが、揃っている。

外来で包み込まれた柔和なちよばあの笑顔。

夫の分とまじわって、2倍のパワーで訪問診療を包み込んでいく。

 

そうして、彼女の物語の終焉は、また一歩近づいていった。

 

それは皆が理解していたし、

なにかを必死で「巻き戻ししよう」とする人は、誰もいなかった。

 

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「医師4年目から診療所勤務をする家庭医療学のプログラムにいきます」というと「そんな早い学年から診療所になんか行ってどうするの?」と言われた。 

 それにはすかさず、こう答えようと思う。

 

「そんな早い学年から、病院という『狭く特殊な世界』に引きこもっちゃって、どうするの?」

 と。