在宅と、救急と、

救命センターのICUで高度医療を行いながら、在宅往診で自宅看取りを行う専攻医の内省とつぶやき

どんな時も、救いたい命があって どうしても、救えない命がある ICUのベッドも、家の畳も 僕にとって、大切な空間のように思う。

「場づくり」を考えるvol.1

 

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無料路上相談所(2010年くらい?)

大学生の頃、

「無料路上相談所」というのをやっていた

 

わざわざ終電で心斎橋に向かい

コンビニで段ボールをもらって

お茶とお菓子をたんまり買いこむ

 

ひっかけ橋のすぐそばで

朝まで無料路上相談所

「悩みあれば聞きます。なければ僕らの悩み、聞いてください」

と看板を出す

 

あとは始発まで

終電を逃した学生や、仕事終わりのホストにキャバ嬢

ライブ帰りのハイテンションガール

キャッチに疲れたお兄さんボーイに

ちょっとヤバそうな仕事をしている人

かれこれ10年くらい仕事をしていない人

外国人観光客まで、

色々な人とお話をした。

 

 

"なければ僕らの悩み、聞いてください。"

に惹かれたのか、

なにそれー!と

特に目的のない人たちが足をとめ

毎回まあまあの人がやってきて

それなりの話がうまれたりした。

 

医学部3年?4年?のときは、

ただの遊びと思ってやっていたけど、

今となっては少し、

自身のやっていきたい医療の原点になっているような気がする

 

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昨夜「ローカルな場づくりの教室(実践編)」に

ドキドキしながら、参加した。

("医療"以外のフィールドに飛び出す、一歩目)

school.greenz.jp

 

第一回は「場づくりをしたい、と思った自分と向き合う時間」

自身の原体験への振り返りや、想いの共有

コミュニティと場の違い、など

いろんなマインドセットをもらえた素晴らしい時間だった。

 

以下、メモの抜粋

場で大切だとおもうこと

関係性を固定化させず、余白をもたせること

これをせねば、こうでなければ

というものがないのが「場」

 

場はとても広い概念

日本独特の価値観が横たわっていて、英語化が難しい

場は、実在する人の存在すら必要としない可能性がある

葬儀やお盆、死者を想う、

といった対象となる人がそこにいなくとも場になりえる

 

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 空間や、そこに集うヒト、モノ、目的だけでは収まらない

そこにくるきっかけとなった(それぞれの)過去、記憶、感情、

それぞれの異なる文脈と文脈が交叉して、集まって、

つながってもいいし、はじけてもいいところ

それが"場"なのかもしれない

(と、現時点の小まとめをした)

 

そう考えると

沖縄で初期研修医をしていた時

ゲストハウスに入り浸り

「ゆんたく」の居心地の良さに溺れていたあの頃も

そういった場に広がる文脈や余白をたくさん感じられるところ

だったからなのだろう

 

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沖縄のゲストハウス「月光荘」(2013年)

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月光荘で、ゆんたく(2013年)

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 特に印象的だったのが

関係性を固定化させず、余白をもたせること

 というパンチライン

 

無料路上相談所が、なんとなく始めたけど

それなりに続いて、それなりの話で盛り上がれて

ときに20人以上の人たちでその時間を共有できたのは

 

なければ僕らの悩み聞いてください、と看板を出すことで

相談するヒト、うけるヒトという関係性の固定化を崩し、

相互性と余白を産み出していたからなのかな?

とか思ったり。

 

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 病院という箱のなか、

外枠から埋められたコミュニティの中での自由の少なさ

 

診察室という空間で

「医師」と「患者」という関係性の固定化

 

こういったものへの違和感が、

場づくりに興味を惹かせた原動力なのかもしれない。

 

場づくりの哲学と物語と題されたワーク

自分の中に浮かんだ3つのキーワードは

現代医療への違和感、"生"に向き合う、つながり

 
 

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 「医師という職業は、ヒトの不幸の上に成り立っている」

学生のころ、部室でギターを弾きながら

先輩がなんかよく分からんマイナーコードにのせて歌ってた一言が

結構自分の心に残っている。

当時は、否定する言葉は持ち合わせておらず

むしろ納得感をもって、医師という仕事の理解を促進させていた。

 

でもそれは、

「医師と患者」という関係性が固定化されているから

生まれるものじゃないか

 

相談する、される、そんな関係性ではなく

病気になったから来る、でもなく

そこにくるきっかけとなった(それぞれの)過去、記憶、感情、

それぞれの異なる文脈と文脈が交叉して、集まって、

つながってもいいし、はじけてもいいところ

そんな医療をやっていける診療所を作りたい。

 

その先にみたいのは、不幸の上に成り立つ関係性ではなく

すこしでも、はっぴいになれる

文化として成熟した医療。

 

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 5年後くらいに

「え、ここ診療所だったの?え、とくちゃんって、医者だったの!?」

そんな感じの診療所つくり。

 

追記:(藤本さんの言葉を丸々いただき。)

診察室は、コミュニティではないが、場に"なりえる"

基本的に「固定化された関係性」の中では場は発生しづらいが

意図的にそれをズラすという行為が重要

 

例えば

・医者が明らかに医者っぽくない格好をしている

・診察室に関係ない写真がいっぱい飾ってある

・医師や看護師の趣味のBGMが流れている

 

こういった、「一見不必要なことを言う、する」ということで、場が生まれる可能性が格段に上がり、豊さにつながるヒントになる。

 

 
 
 

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 今日はここまで

 

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