「場づくり」を考えるvol.1
大学生の頃、
「無料路上相談所」というのをやっていた
わざわざ終電で心斎橋に向かい
コンビニで段ボールをもらって
お茶とお菓子をたんまり買いこむ
ひっかけ橋のすぐそばで
朝まで無料路上相談所
「悩みあれば聞きます。なければ僕らの悩み、聞いてください」
と看板を出す
あとは始発まで
終電を逃した学生や、仕事終わりのホストにキャバ嬢
ライブ帰りのハイテンションガール
キャッチに疲れたお兄さんボーイに
ちょっとヤバそうな仕事をしている人
かれこれ10年くらい仕事をしていない人
外国人観光客まで、
色々な人とお話をした。
"なければ僕らの悩み、聞いてください。"
に惹かれたのか、
なにそれー!と
特に目的のない人たちが足をとめ
毎回まあまあの人がやってきて
それなりの話がうまれたりした。
医学部3年?4年?のときは、
ただの遊びと思ってやっていたけど、
今となっては少し、
自身のやっていきたい医療の原点になっているような気がする
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昨夜「ローカルな場づくりの教室(実践編)」に
ドキドキしながら、参加した。
("医療"以外のフィールドに飛び出す、一歩目)
第一回は「場づくりをしたい、と思った自分と向き合う時間」
自身の原体験への振り返りや、想いの共有
コミュニティと場の違い、など
いろんなマインドセットをもらえた素晴らしい時間だった。
以下、メモの抜粋
場で大切だとおもうこと
関係性を固定化させず、余白をもたせること
これをせねば、こうでなければ
というものがないのが「場」
場はとても広い概念
日本独特の価値観が横たわっていて、英語化が難しい
場は、実在する人の存在すら必要としない可能性がある
葬儀やお盆、死者を想う、
といった対象となる人がそこにいなくとも場になりえる
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空間や、そこに集うヒト、モノ、目的だけでは収まらない
そこにくるきっかけとなった(それぞれの)過去、記憶、感情、
それぞれの異なる文脈と文脈が交叉して、集まって、
つながってもいいし、はじけてもいいところ
それが"場"なのかもしれない
(と、現時点の小まとめをした)
そう考えると
沖縄で初期研修医をしていた時
ゲストハウスに入り浸り
「ゆんたく」の居心地の良さに溺れていたあの頃も
そういった場に広がる文脈や余白をたくさん感じられるところ
だったからなのだろう
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特に印象的だったのが
関係性を固定化させず、余白をもたせること
というパンチライン。
無料路上相談所が、なんとなく始めたけど
それなりに続いて、それなりの話で盛り上がれて
ときに20人以上の人たちでその時間を共有できたのは
なければ僕らの悩み聞いてください、と看板を出すことで
相談するヒト、うけるヒトという関係性の固定化を崩し、
相互性と余白を産み出していたからなのかな?
とか思ったり。
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病院という箱のなか、
外枠から埋められたコミュニティの中での自由の少なさ
診察室という空間で
「医師」と「患者」という関係性の固定化
こういったものへの違和感が、
場づくりに興味を惹かせた原動力なのかもしれない。
場づくりの哲学と物語と題されたワーク
自分の中に浮かんだ3つのキーワードは
現代医療への違和感、"生"に向き合う、つながり
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「医師という職業は、ヒトの不幸の上に成り立っている」
学生のころ、部室でギターを弾きながら
先輩がなんかよく分からんマイナーコードにのせて歌ってた一言が
結構自分の心に残っている。
当時は、否定する言葉は持ち合わせておらず
むしろ納得感をもって、医師という仕事の理解を促進させていた。
でもそれは、
「医師と患者」という関係性が固定化されているから
生まれるものじゃないか
相談する、される、そんな関係性ではなく
病気になったから来る、でもなく
そこにくるきっかけとなった(それぞれの)過去、記憶、感情、
それぞれの異なる文脈と文脈が交叉して、集まって、
つながってもいいし、はじけてもいいところ
そんな医療をやっていける診療所を作りたい。
その先にみたいのは、不幸の上に成り立つ関係性ではなく
すこしでも、はっぴいになれる
文化として成熟した医療。
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5年後くらいに
「え、ここ診療所だったの?え、とくちゃんって、医者だったの!?」
そんな感じの診療所つくり。
追記:(藤本さんの言葉を丸々いただき。)
診察室は、コミュニティではないが、場に"なりえる"
基本的に「固定化された関係性」の中では場は発生しづらいが
意図的にそれをズラすという行為が重要
例えば
・医者が明らかに医者っぽくない格好をしている
・診察室に関係ない写真がいっぱい飾ってある
・医師や看護師の趣味のBGMが流れている
こういった、「一見不必要なことを言う、する」ということで、場が生まれる可能性が格段に上がり、豊さにつながるヒントになる。
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今日はここまで
いい時間/EVISBEATS