在宅と、救急と、

救命センターのICUで高度医療を行いながら、在宅往診で自宅看取りを行う専攻医の内省とつぶやき

どんな時も、救いたい命があって どうしても、救えない命がある ICUのベッドも、家の畳も 僕にとって、大切な空間のように思う。

あなたにとってのメンタリングとは?〜成長過程における立ち位置〜

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trekking at Yosemite 2013 卒業旅行

今回は友人3人で「同じテーマについて喋ってみよう」ということで、

自身の成長におけるメンタリングの立ち位置、についてです。

 

 メンタリングってなんだ、ということに関しては

二人が詳しくしっかり書いてくれているので、そちらをご覧ください。

 

・櫻井広子先生の記事

note.com

 ・深瀬龍先生の記事

yamagatageneral.hateblo.jp

 

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さて、いきなりですが、皆さんにとって「後期研修」という期間は、どのような時間(だった)でしょうか。

 

一般的にはこの後期研修を3〜4年積めば、なんらかの"専門医"資格を取得し、そして"一人前"となり、一人立ちしていきます。

 

が、職人的要素の強い医師という仕事が、たった5-6年で"達人"の域に到達するというのは、到底無理でした。僕の場合、一人前どころか、後期研修をおわってやっと、よちよちと伝い歩きが出来るようになった・・くらいの感覚でした。。苦笑

 

しかし、この感覚は皆さん、以外に遠からず・・なのではないでしょうか。

 

 

一方で、専攻医期間がおわると、いよいよ継続的に誰かに教えてもらうということはなくなります。 

自分で課題をみつけ、解決策を探り、成長へのアクセル(や、ブレーキ)を自分でコントロールしていかないといけなくなります。まだまだやらないといけないことは山積みだし、結局暗中模索が続きます。

でも、今はなんとか、やっていけています。

 

 

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 僕にとっての専攻医期間は「ずっと成長していくための振り返り、課題発見し、内省をし続ける・・そんなことが"一人でも継続的にやっていける"ためのトレーニング期間」であったと思っています。

 

そして、そのために必要なプロセスは、"省察"を日々繰り返す、ということでした。

 

この"省察"を援助するプロセスが、専攻医期間中に指導医の先生に継続的にしてもらったメンタリングだったなあと強く実感しています。

 

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自分の内面と対話を続ける省察は、なかなか一人でできるようになるものではありません。今までの医学教育では、なかなか獲得しづらかったプロセスだからです。

 

でも、だからこそ専攻医期間中は、積極的にメンタリングをうけました。

そしてこのメンタリングをうける日までに、

・今日は指導医に何を言おう

・僕って今なにに悩んでるんだっけ

・それってなんでなんだろう

と一人考えている時間自体が、成長につながっていきました。

 

つまり、メンタリングは、その1時間の中だけに価値があるわけではなく、その準備期間から価値あるもので、自分と向き合う時間を確保するための「リマインダー」のように作用しました。

 

 

専攻医がおわり、まだまだ成長過程をふんでいるところ・・。

実は、未だに月一回、継続的に専攻医時代の指導医から、メンタリングを続けてもらっています。(本当にありがたい・・・)

 

そうして自分と向き合い、成長を促す時間を定期的につくる

僕にとってのメンタリングは、リマインダー

と、中括りしておこうと思います。

 

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  次の世代のメンターでありながら、今もなおメンティであり、色々な関係性を相互的に作用しあっている。総合診療のつながりは、やっぱりおもしろいなあと思っています。