在宅と、救急と、

救命センターのICUで高度医療を行いながら、在宅往診で自宅看取りを行う専攻医の内省とつぶやき

どんな時も、救いたい命があって どうしても、救えない命がある ICUのベッドも、家の畳も 僕にとって、大切な空間のように思う。

「二人主治医制」というかたち 〜第20会日本在宅医学会〜

昨日から日本在宅医学会に参加中。

そこで「二人主治医制」についてのシンポジウムを拝聴した。

 

治癒モデルと生活モデル

在宅医と専門医の違い

病院と地域の違い

 

などなど…

考えを整理する上でためになる話が多かった。

 

けれど、

誤解を恐れず言うと、

違和感しか感じなかった。

 

なにより座長が放ったこの一言が、一番なんとも言えない気持ちになった。

「専門の先生が、生活や地域を考えるのは、無理がありますから」

 

 

・・・本当にそうだろうか。

あるいは今後、より加速度的に「治療は専門医」「生活を在宅医(総合診療医)」が支えるという分担を強化していく必要があるのだろうか。

 

僕は、違うと思う。

 

最近感じている懸念のひとつにもつながるけれど、総合診療医が本人の気持ちや生活、地域を意識した「人を診る医療」を実践すればするほど、各臓器別専門医は、人を診るという「マインド」を総合診療医に委譲してしまい、どんどんその考えが診療の中から薄れていってしまう傾向にあるのではないか、と感じている。(もちろん、そうじゃない人もいるけれど。)


でも、そこって、わざわざ二人主治医制にして、わけた方がいいことなんだろうか??

 

一人の患者を支えるにおいて「疾病 disease」と「病い illness」をわけて考える必要が

、果たしてあるのだろうか??

 

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LIFE・・・患者さんを支えるにあたってとても大切な概念だと思う。

LIFEという言葉には「生命、生活、人生」そういった全てが包括されている。

 

僕は、患者さんやそれを取り巻く家族の「LIFE」を支える医療を提供していきたい。

 

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臨床という言葉が「クリニコス(=病に伏した床で、話を聞くこと)」を語源としている以上、どの臓器別専門に進んだ者であっても、臨床医であれば診療の基本は「話を聴く」というスタンスを大事にすべきだと思う。

 

そして、そこで語られる「話」には、疾病だけでなくその疾病に罹患した事で変わってしまった生活や、人生、価値観、物語・・そういった全てが含まれている(はずだ)。

 

その「話」を聴く人は、臨床医全てがもつべきマインドだと思う。

 

やっぱり僕は、

臓器別専門医であっても

その「人となり」を理解して治療を統合する必要がある

と思っている。

 

 

そういった意味で「治療」と「病い体験」を切り離して考える(ことに加担してしまうかもしれない)「専門医と在宅医の二人主治医制」というのには、なんとなく反対だなあと感じた。

 

 

 

色んな意見がある事だと思う。

けど(大学病院でマスを救うための研究をされている先生は別として)

目の前の個人を対象とした「臨床医としての基本のマインド」は

スペシャリストもジェネラリストも、わけないほうがいいんじゃないだろうか。

 

 

 

皆さんは、どう思います???